予防から在宅まで携わることが重要 秋山正子氏講演

 ケアーズ白十字訪問看護ステーションの統括所長で、東京・新宿区で「暮らしの保健室」を運営している秋山正子さんは、先ほど行われた台東地区薬剤師研修会での講演の中で、地域で看取ることの重要性を説いた。

 国は地域包括ケアシステムの稼働に向け、諸制度を改正に着手しているところで、当然のことながら薬剤師も薬の専門家として職能発揮が期待される状況下にある。

 その一方で、実態として在宅医療の現場には課題が山積しているのも事実だ。

 ここでは同氏の講演を要録し、これからの地域医療はどのような方向に舵を切るべきか考えるとともに、いま一度薬局・薬剤師のポジショニングも確かめておきたい。


医療・介護の連携が必須に


【講演要録】ケアーズ白十字訪問看護ステーション・秋山正子統括所長 


  2014年は昭和に置き換えると89年であり、戦前の多産世代が後期高齢者群を構成する状態に入っている。

 つまり、後期高齢者が多く亡くなる時代に突入することを意味している。

 このことは後期高齢者も自覚しており、多くの高齢者は寝たきりにならず元気なまま周囲に迷惑をかけずに亡くなる「ピンピンコロリ」を望んでいるが、実現はうまくいっていない。

 高齢者を取り巻く環境も変化しており、医療においてもこれまでの「何が何でも治す」ことを目指した医療から、何か疾病を持ちながらも生き続ける「暮らしや生きることを支える医療」にパラダイムシフトしつつある。


 病院で亡くなる方と在宅で亡くなる方の比率は現在、病院8割在宅2割となっているが、多くの後期高齢者を抱える社会ではこの状況を維持することはできない。

 病院で最期を迎えられる人が限られてくる情勢の中で、高齢者施設を中心とした在宅で最期を迎えることを想定する時代になろうとしている。

 終末期を支えるのは医療者だけではとても不可能で、医療・介護の連携が車の両輪として動くことが求められている。

 

 現状の「死」を取り巻く環境は病院が中心となっており、病院死が一般化し過ぎているのではないだろうか。

 有料老人ホームなどでも死亡診断のために救急車で病院に搬送するような事態が起こっており、救急医療の現場でもその対応に苦慮している。

 人生の最期をどのように迎えるのか。「病院」か「自宅」かという選択の問題ではなく、死の迎え方そのものをもっと深く考えなくてはいけない時代に入っている。

 

 終末期のみを単独で考えるのではなく、予防から通常医療を経ていかに穏かに最期を迎えられるか。

 終末期への取り組みだけを切り取るのではなく、川上である予防の部分から川下である在宅まで携わっていくことが大切だ。

 終末期の方のケアマネジメントは、病状の変化が激しかったり、ADLが変化したり本人や家族の不安をはじめ、そもそもケアマネや介護職が死に行く人を見たことがない場合、在宅患者さんを「困難なケース」と感じやすい傾向がある。


 現在、がん患者の94%は病院で亡くなっているというデータがある。

 しかし、がんのほうが最期までの予測はある程度立てられるので、在宅で看取れると考える医師もいる。

 ただし、がんに加えて認知症を発症していると緩和ケア病棟や施設ホスピスに入ることができない。

 認知症患者が増加傾向にある中で、悩ましい課題として横たわっている。

高齢者に対するデス・エデュケーションを


 認知症になっても地域に住み続けることを望む方は多い。

 認知症は65歳以上の1~2割は出現し、要介護状態にある高齢者の半数以上に症状が見られる時代の中で、馴染んだ地域でのケアが必要とされている。


 ある高齢の方はご主人様が亡くなってから一人暮らしをはじめたところ、次第に食生活が不規則になり、訪問看護・介護を受け、最終的には自宅で最期を迎えられたケースがあった。

 ご主人がなくなってから14年間かけてゆっくりと坂を下って人生を全うした。

 最後まで入院することなく、訪問看護と介護を中心にした対応となった。

 このような長い時間をかけてでも在宅で最期を迎えられるような地域体制を構築する必要が高まっている。


 同時に、社会として死に対する捉え方を考えなくてはいけない時期に差し掛かっている。

 病院での死が当たり前になり、社会の中で亡くなっていく方が激減した。

 高齢者本人の「死」に対する考え方・捉え方が大前提であるが、日頃から話し合っていることが少なくなってきており、またいつまでも死なない幻想を抱く子どもの世代の考え方に影響を受けることさえある。

 つまり高齢者であってもデス・エデュケーションが必要だと痛感している。

 私が訪問看護をはじめた20年前は、高齢者側に一種の覚悟ができているような感じが多く、ことさら説明をしなくても良かったが今は違う。

 病院死が当たり前になり、在宅での看取りの文化が廃れてしまった。


 この「死」に対するアプローチは非常に難しく、高齢者の方の中には「早く死ねと言っているのか」と怒られる方もいるので、話題として取上げるきっかけが重要になる。

 身近な方が亡くなったときや、具合が悪くなったときの捉え方など、近くで死を連想できる事態が起こった場合に話し合うとスムーズに運べる。

 薬局の店頭においても「先日倒れたことがあったわ」という話を振られたとき、「まだまだ大丈夫ですよ」と返してしまうところを「そうですね、年齢的にも色々整理を考えるときかもしれませんね」といった対応があってもいいと思う。


看取りができる町作りへ


 地域で看取りの体制を構築する際、恐れや不安が先に来るのは当然であるが、最期の時間を共有できることの幸せという捉え方を啓発することも必要だ。

 普段から元気で医師を必要としない場合でも、地域の看取り体制は把握しておくことは重要。

 年に数回開催されている健診などを受け、かかりつけ医の相談をしてみることもいいかも知れない。


 国は地域包括ケアシステムを稼働させつつあり、その目的は看取りができる町を作ること。

 独居老人が増え、住みなれた家に帰れない事情もあるなかで、できるだけ多くの方が住みなれた地域に戻れるようにしなければならない。

 医療・介護が互いに連携して、看取りのできる町をつくっていければと思う。

 医療・介護がパートナーシップを持って、連携していくことが求められている。


◆2014年9月30日 台東地区薬剤師研修会にて


『薬局新聞』2014年10月15日付